生活レベルを下げること

よく人々は「一度生活レベルを上げると、下げることができない」という言葉を口にする。
その言葉は実感の裏付けがあって言われているのか。
私は違うと思う。
一度も「生活レベルを下げる」という経験をしたことのない人間がそういうことを断言できるのは、「みんながそう言っている」からというだけのことである。
「一度生活レベルを上げると、下げることができない」というのは資本主義市場が消費者の無意識に刷り込み続けてきた「妄想」である。
そう信じているせいで、人々は給料が減ると、アイフルやプロミスから金を借りてまで「今の生活レベル」を維持しようとする。
「今の生活レベル」などはいくらでも乱高下するものである。
そんなことで一喜一憂するのはおろかなことだ。
自分の今の収入で賄える生活をする。
それが生きる基本である。
「ありもの」を使いのばし、「ありもの」で「要るもの」を作り置きしておいて、いざというrainy dayに備える。
私たちはこれから窮乏の時代に入る。
「右肩上がり以外の生存戦略は存在しない」と信じている人間が生き残ることのきわめて困難な時代に入る。(内田樹の研究室

書籍で読んだのだが、ブログの内容と一語一句変わらなかった^^;
いい商売だなたっつぁん。

金がなくなることを怖れる人は多い。しかし、負債を抱えることと金を失うことは別である。

蓄財がなくなったところで実際の生活は変わらない。
蓄財がなくなり、さらに収入が減ったら、生活が変わる。

ここはたっつぁんの言う通り、down sizingするしかない。踏みとどまる必要はない。

私は貧乏な生活をしたことがあるけど、借金地獄まで落ちたことがないからわからない。
カネがなくても平和に暮らせる。しかし、借金を抱えると一気に余裕がなくなるように思われる。
借金するくらいなら生活保護を受けるべきだろう。

私は一ヶ月、自由になる金が7万円あれば生きていける。大学のときはその金額で生活していた。つまり生活保護になっても、余裕を持って生きていける。私の楽しみは読書と楽器で、ほとんど金はかからない。

いろいろアレな国だが、生活は憲法で保証されている。怖れるものはないのだから、リスクをとっていくべきだろう。

金銭的な恐怖に縛られると、くだらないことに人生を費やす羽目になる。「実に恐怖こそ恐怖すべき唯一のものである」と誰かが言った。

No comments:

Post a Comment